ミセバヤというベンケイソウ科の花があります。

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先日、大阪府立花の文化園で見てきました。もう少し華やかな花らしいのですが、ともかくこんな花です。

この花の名前が面白いので、その由来を調べようと思ってネットで探すと、Wikipediaを初めてとして、決まって

高野山の僧がこの花を見つけ、和歌の師匠である冷泉為久卿に送り、・・・」

という説明がなされているのですが、どこにもその出典が書かれていません。
さらに探すと、筑波実験植物園の説明には、

18世紀末に出版された柳原紀光の「閑窓自語」によると吉野山の法師が奥山で見つけて和歌の師匠に贈ったがその添えた詞の「君にみせばや(誰に見せようかという意)」から命名。

となっていて、柳原紀光の「閑窓自語」に書かれていることが分かりました。どうやら、江戸時代の公卿の柳原紀光(1746-1800)の随筆のようです。そこで、「閑窓自語」がどこかに載っていないか探してみました。その結果、「日本随筆大成第二期8」(吉川弘文館、1974)という本に載っていることが分かりました。今日、大学の図書館でその本を見てきました。内容は以下の通りです。

六八 見せはやといふ草名語
故民部卿入道為村卿かたられしは、今世にみせはやといへるくさ[鎮火の種]をうへもてあそふ。これはかの卿の父大納言為久卿の和哥の門弟に、吉野山の法師にてあなるか、奥山にて見侍りしくさとて、和哥をそへて贈りし。そのうたの句に、君にみせばやとの詞あり。これによりて、見せはやとなつけをくよし、為久卿の返事ありしを、たしかにみられけるとなむ。


民部卿入道為村卿は冷泉為村(1712-1774)のことで、その人から聞いた話として、父親である冷泉為久(1686-1741)の和歌の門弟で、吉野山の法師でしょうか、奥山で見た草を和歌を添えて為久に送ったということです。そのときに、その句に「君に見せばや」という詞があったので、見せばやと名をつけておいたという為久からの返事があったのを確かに見たという内容でした。

高野山ではなく、吉野山だったのですね。鎮火の種は別名なのでしょうか。